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平敦盛

今日歴史秘話ヒストリアを見ていたのですが、平敦盛さんが出てきませんでした。

 

平敦盛平経盛の末子です。平経盛平清盛の弟です。つまり平敦盛は清盛の甥に当たります。だから出てこなかったのかもしれません。

敦盛は笛の名手とも知られていました。祖父平忠盛鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受けました。

 

元暦元年、一の谷の戦で平氏は敗走するが、その最中の出来事
平氏軍が敗走する際、漢竹の横笛(青葉の笛・小枝)を忘れ取りに戻る。

結果、退避の為に用意された舟に乗り遅れてしまう。
平敦盛は遥か沖の船を目指し馬を飛ばす。

 

一方、源氏の武将、熊谷直実
彼は一の谷の戦では未だ大した手柄は無く無念と思っていた所へ逃げる平敦盛が目にはいった。
若年と言えど平敦盛平清盛の甥にあたる。
将としての格式高い甲冑姿であっただろうと思う。
熊谷直実にとっては高名をあげる格好の獲物。
熊谷直実平敦盛を勝負を申し呼び止めた。

船上の平氏達も平敦盛に気がつき、平敦盛を助けようと海岸へ船を戻そうとする。
しかし波風が強く思うように舵が取れない。
平敦盛も若年故の未熟さか馬を捌き波を超える事に手こずる。

 

熊谷直実は更に勝負を挑むが、答えない平敦盛に対して、ならば矢を放つと。
平敦盛は矢で射られるくらいならと覚悟を決めたか勝負を受ける。
結果は老練な熊谷直実の勝ち。
いざ頸を獲ろうと組み伏せた敵の顔をよくよく見ると14~5歳ほどの若武者。
名を尋ねてみれば平敦盛、16歳と言う。
熊谷直実の子・小次郎直家は、父と共にこの戦いに参加し命を落としたばかり。
その熊谷直家も16歳。
我が子を重ね、また16歳の子を亡くし悲しむ父平経盛の姿を自分に重ねてしまう。 
折角、組み伏せたはず敵将の頸を刈ろうとしない熊谷直実の姿を見て源氏の諸将も訝しむ。

熊谷直実に異心あり。熊谷直実もろとも討ち取ってしまえと。

ここで敦盛「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」
ようやく覚悟を決め熊谷直実平敦盛を討ち取った。

 

織田信長がよく舞っていたという「人間五十年」はここから来ていると言われています。

なお、熊谷直実の熊谷は埼玉県熊谷市に由来しているもので、地元では英雄らしいです。